陶芸家の森の日々                      ~佐藤火圭(けい)ワールドへようこそ!

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カテゴリ:私の出会った人々( 6 )

葬式がありました(byけい)

山野草に「雪笹」というのがあります。高さ15cmくらいの可愛い花です。白いので「雪」、葉が笹のような感じなので「笹」、「ユキザサ」です。ところが私の家の側に「榛名雪笹」というのが自生しています。私が住んでいる榛名山しか生えていない、というので「ハルナユキザサ」です。雪笹の大型種で40cmくらいあります。珍しいので他県から採りにくるフトドキモノがいます。今、これを保護し増やそうと思っています。
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それはそうと、きょうお葬式(お通夜)があり行ってきました。
昨年の12月10日に「尊敬する人いますか」というテーマでブログを書きました。その、私が尊敬する3人の人うちの一人に大須賀克人先生がいます。その奥さんが亡くなったのです。大須賀先生も昨年秋に亡くなったので、後を追うように逝った感じです。
大須賀先生は指圧師で、私の友人のお父さんです。浪人中から大学生にかけて随分世話になりました。月に一度くらいお邪魔していろいろなことを教わりました。特にお酒の飲み方は後々まで役に立ったと思います。例えば、お酒は一気に飲まないで、口に含んで味わってから飲みなさいとか、ちょっと酔ったなと思ったらトイレに行きなさいとか、学校では教えてくれないことをたくさん学びました。そういう意味で私は「大須賀塾」の塾生ということになります。「大須賀塾」からは何人もの逸材が出ています。大須賀先生は決してお金持ちではありませんでしたが、世の中に間接的に影響を与えています。なにしろ私自身、大須賀先生の教え子ですからね。そしてきょうの葬式の大須賀麗子夫人は、それをしっかり支えた人でした。麗子夫人の作ってくれたトンカツの美味しかったこと!今でもはっきりと覚えています。本当にありがとうございました。合掌。
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by sueki-k | 2009-05-25 23:20 | 私の出会った人々

古谷道生さんのこと(byけい)

きょうから窯詰めが始まりました。
まず、一番後ろから詰め始め、だんだん前にきます。
きょうの写真は窯内の一番奥です。四角の穴から煙突に抜けてゆきます。
穴窯は窯詰めが一種のデザインになります。写真の壷のように逆さに詰めるのと、普通に詰めるのとでは全然違う焼き上がりになります。
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この窯詰めで思い出したのが、古谷道生さんです。古谷さんは窯は炎の形が良いと言っていました。写真は炎の先端の部分です。ここに火が集まるので、良い物がとれます。
古谷さんは信楽の陶芸家で、焼物の世界では有名な人です。彼は窯造りが趣味みたいな人で、30基以上造ったと聞いています。残念ながら数年前に癌で亡くなりました。
「穴窯」という本を書いて、その築窯の仕方などを著しました。以前お会いしたとき、2万部売れていると聴きました。こういう本が2万部売れるというのはとても珍しいことだそうです。
古谷さんは人柄がとても良い人です。20年くらい前、私が遠野に住んでいた頃の話です。花巻の古谷さんのファンが招き花巻温泉に来られたことがありました。一緒に温泉に入り、一杯やりました。その時の会話で、「トマトやナスはどうして美しい形をしているのだろう」という話になりました。古谷さんはこう言いました。「それは命が膨らんでゆく形だからではないだろうか」。私も全く同じに考えていたのでうれしくなりました。
ずっとそれ以前、私は大津市の山奥に住んでいたとき、古谷さんが楽焼の窯を造るというので手伝ったこともありました。彼の設計で面白い窯でした。「双子窯」とネーミングで、焚き口は一つ、本体は二つというユニークな窯でした。
古谷さんと接していて感じたことは、この人、いい人過ぎるな、ということでした。先日の「碁は人格である」と矛盾するようですが、人が良すぎるのも少し問題かも、とも思います。良い仕事をするためには、少し非情なことも必要かもしれません。
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by sueki-k | 2009-04-11 22:07 | 私の出会った人々

森口博子さんのこと(byけい)

きのう、きょうと、やや暖かく、芽がいろいろな所で芽吹きつつあります。
早春の木の花として、この写真の「アブラチャン」があります。なんでも、この木から油をとるためこういう名前がついたと、先日お客さんが教えてくれました。いつか試して、どういう油が取れるのか、実験してみたいですね。それにしても、春の花は黄色が多い気がします。何故なんでしょうか。
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昨晩、ラジオで「渋谷極楽亭」いうのをNHKでやっていて、森口博子さんが出ていました。そこで忘れない内に森口博子さんのことを書きます。
もう10年以上前になりますが、知り合いから電話がありました。「森口博子が焼物をやりたいというのだが、やらしてもらえないだろうか。」私「誰その人」。知り合い「テレビなどに出ている人」。「ふ~ん、有名なの。」「うん、まあ有名かな。」「研ナオ子くらい?」「そうだな、以前の研ナオ子くらいかな。」「OK」という訳で森口博子さんが我が工房に来ることになりました。なにしろテレビを見ない私は、顔も名前も知らないのです。そんなに有名な人の名前を間違えてはいけないと思い、手のひらに「森口」と何回も書きながら、高崎駅に迎えに行きました。駅前で会った時、思わず「掘口さんですか?」と訊き、「いえ森口です。」と訂正されました。その当時ちょうど掘口さんという人が身近にいて、つい出てしまったのですね。
結局、うちの工房でいろいろ作っていったのですが、その時一緒にきていたのが、ボクシングの元世界チャンピョンの鬼塚さんでした。こういう人達を見ていると、さすが、と思わされます。森口さんはとても集中力のある人でしたし、鬼塚さんはもっと面白かった。土の塊にパンチをしてへこまし、その回りをいじってオブジェのように仕上げました。相撲取りだと手形ですが、ボクシングはパンチなのですね。
その後窯出しにも来ました。森口さんはとても性格の良い人で、人気があるそうですね。何事も最終的に「人格」が大事ですね。あ、この話題、明後日にしましょう。
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by sueki-k | 2009-04-05 19:45 | 私の出会った人々

中原16世名人のこと(byけい)

先週のきょう、中原16世名人が引退、という記事が載っていました。そこできょうは、私の出会った中原元名人のことを書きます。
将棋の世界で名人というのは一番強い人というイメージです。タイトルはいろいろありますが、名人は別格です。日本人は「名人」という言葉に特別な感情を持っているように思われます。焼物にも「名人展」とかあると面白そうですね。グランプリを取ったひとがその年の焼物名人になる。
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話がそれました。私が中原さんに出会ったのは20年ほど前、以前にも書いたように岩手県遠野市の「万世の里」でした。そこで王将戦があり、その時来ました。印象に残っているのは「手」です。真っ白な、白魚のような指で駒をつまみ、パシっと指す、その美しいこと!多分駒以外に持ったことがないのでしょうね。
もう一つ、何と言うか、どこか「抜けている」のです。いや、「突き抜けている」と言った方がいいでしょうか。接していて常人の感じがない、こういう人は世の中の常識とか全然関係ないところで生きているのだと思いました。
例えば、芸術家も世の中の常識から外れたところがありますが、芸術作品は評価に主観が入ります。お客様に気に入って貰わなければ売れない。私の友人に銀座の伊東屋の社員がいます。彼が言うには、「いろいろなデザイナーに会うが、優秀なデナイナーほど言うことに説得力がある。」つまり優秀な芸術家は優秀な営業マンということです。良い作品さえ作れば売れる世の中なら苦労しませんが、芸術家も営業が出来ないと駄目です。私は、ピカソは天才的な画家であると共に、天才的な営業マンだったと思います。(私はピカソ型を目指します。)
ところが将棋の世界は主観と全く関係がありません。勝つか負けるかです。常識外れであっても、勝てば名人です。私が受けた感じはまさにそこから来るのでしょう。
最後にエピソードを一つ。中原さんが弟子で中2の時、数学のテストが満点を取ってきたら先生に怒られたそうです。そんな暇があったら将棋の勉強をしなさいということなのですね。
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by sueki-k | 2009-03-19 13:38 | 私の出会った人々

宇野千代さんのこと(byけい)

一昨日、山本陽子さんの話をしましたが、きょうはその続き。
宇野千代さんは、作家で、若い人は知らないと思いますが、我々の世代では有名です。「おはん」という小説が映画化され、その縁で山本陽子さんが宇野さんと知り合ったようですね。確かその映画は吉永小百合さんも出ていたと思います。
きょうの写真は「おはん」にしようと思って探したのですが、見つからないので別のにしました。
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20年ほど前、私は岩手県・遠野市の「万世の里」というところに招聘されて、そこに穴窯を築き、作陶していました。そこの村長さんが宇野千代さんで、よくいらっしゃいました。「素晴らしき仲間」というテレビにも一緒に出ました。当時宇野さんは87~88歳で、いつも薄くお化粧をして、色っぽい方でした。
先日、山本陽子さんがラジオで言っていました。「宇野さんはね、いい男をみると、じっとまばたきもせずに見つめ《いい男ですね~》というのです。」いや、私もされました!じっと私をみつめ、「いい男ですね~」と言われたのです。当時私は38、9歳だったと思います。宇野さんがあと10歳若かったらヤバかったぞと思いましたが、誰にでも言っていたのですね。残念。
88歳の時に米寿のパーティが帝国ホテルで行われ、私も招待されて行きました。その時、たまたま私の横に吉永小百合さんがいて、並んで写真を撮ったのですが、その時の写真どこかにある筈です。
パーティの最後の挨拶が傑作でした。「皆さん次は《白寿》のパーティですから、その時まで元気でいてください。」白寿とは99歳です。当時宇野さんは「私は死なないようなきがする」とおっしゃっていました。結局99歳でお亡くなりになりました。
《女の色気は灰になるまで》と言ったのは宇野さんだったと思いますが、本当にすばらしい人と出会えてラッキーだったと思います。天に感謝!
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by sueki-k | 2009-03-08 20:02 | 私の出会った人々

山本陽子さんのこと(byけい)

きょうはめぐみの日ですが、明日、灯油窯の本焼きがあり、めぐみは絵付けで忙しく、私はピンチヒッターで書きます。めぐみは明日になります。
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昨晩、NHKラジオの「我が人生に乾杯」という番組に、女優の山本陽子さんが出ていました。私は何回か彼女に会っています。きょうはその話をします。こういう話はどうも自慢話みたいで避けていたのですが、なにしろこのブログ、1000回を目指しますので、話の種は何でも出さないと、ネタ切れになるでしょうから、新しいカテゴリー「私の出会った人々」というシリーズでお話します。作家の宇野千代さん、稲葉賀江さん、森口博子さん、歌手の長山洋子さん、ボクシングの元チャンピィヨンの鬼塚氏、将棋の元名人中原誠氏、料理人の平野氏、元首相の福田康夫氏などがいます。
私は20数年前に、遠野市の「万世の里」というところに招かれて、6年間そこで作陶していました。そこの村長さんが、宇野千代さん、副村長さんが山本陽子さんでした。で、お二人はちょくちょく「万世の里」のいらっしてました。
ある時、山本さんがロクロをしたいというので、私の指導のもと、ロクロに挑戦することになりました。ロクロというのは、まず土揉みをして、ロクロ台の上に土を乗せ、それを回しながら「土殺し」というのをやります。この「土殺し」というのが大事で、これがやれないとロクロができない。「土殺し」というのは、土を押さえつけて均一にする動作です。ここまでやってあげると、結構ロクロが出来るものです。勿論この時も土殺しを丹念にしてから、山本さんに代わりました。上手に途中までやった時、グニャとねじれてしまいました。彼女は、「これでいい、これ焼いてちょうだい」と言いました。さすがですね。良いセンスです。楽屋裏の化粧台で使うと言っていました。焼いて送りましたが、どうなったでしょうね。
またある時、だれかがカメラを向けたら、パッと足をそろえたのが可笑しかったですね。懐かしい思い出です。
昨晩のラジオで山本さんが、宇野千代さんのことをお話していて、それが超面白かったので、その話は明後日にします。
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by sueki-k | 2009-03-06 19:59 | 私は出会った人々